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「生産」をやめてみるという選択肢 ー自分のために、健康に生きていくために

レクサプロという薬がある。SSRI ――選択的セロトニン再取り込み阻害薬と呼ばれるもので、体内のセロトニン濃度の数値を改善するための所謂「抗うつ剤」である。私は長いこと、この薬を服用している。

厚生労働省のデータによれば、精神疾患を理由に医療機関にかかっている患者数は全国で400万人を越えており(※1)、今や日本は「うつ病大国」と言っても差し支えない。私の事例などさほど珍しいことではなく、身の回りに精神的な病を患っている人も多いだろう。

特に女性は、その時々のライフステージによって生活や環境が一変するような状況に置かれやすい。そうした変化にうまく適応できず、時に体調を崩してしまうこともあるかもしれない。

今日はそんな私の体験を、少しだけ紹介しようと思う。



適応を試みた末に


今年で大学を卒業して四年、つまり社会人になってもう四年が経つ。新卒で入社した会社は、ベンチャー系のIT企業だった。男女比は9:1で、女性の同期はみなハキハキとした自立心の強いタイプばかりだった。私も入社したての頃は、猛然と仕事を頑張って、自分一人でも生きていけるだけの力をつけようと意気込んでいた。けれど働き始めて二年ほど経った頃、体調を崩し、やむを得ず休職をした。

最初はただ、モチベーションが下がっただけと思っていた。仕事に集中できなくなり、離席する時間が増えた。朝、ベッドから起き上がれなくなった。しかし目の前に積み上がった仕事は減らないので、午前2時に退社し、9時に出社する日々が続いた。運が悪いことに、ちょうど時期を同じくして、父が体調を崩した。それ以降、職場のトイレにこもって出られなくなる時間が長くなっていった。自席でパソコンに向き合っていると耳鳴りがして、頭がふらふらして、座っていることに耐えられないのだ。

思い当たるだけでも、原因はいくつかあった。長時間の労働、家族の問題、同期と比べて自分の能力が劣っているように思えること。けれど一番頭を悩ませていたのは「このままここに居続けていいのだろうか?」という疑念だった。今から考えると、何とか場に適応しなければならないと思い込んで、ひどく無理をしていたのだろう。私生活の交友関係にずかずか土足で踏み込まれることも、男性同士で遠慮なしに交わされる下世話な話も、女性のマネージャに対して向けられる「でもあの人、処女だからな」という嘲笑も、どれも気にしないふりをしてやり過ごした。けれど適応した先に、何があったのだろう。ただでさえ少ない女性の同期。結婚と妊娠を経て、次々辞めていく優秀な先輩たち。のし上がったとしても嘲笑を向けられる上司たち。私の未来など最初からそこにはなかったのに、無理をし続けて、やがて欺瞞に耐えきれなくなった頃、私は限界を迎えて休職した。



「何もしない」ということ


休職をしてしばらくの間、出社をしなくていいという事実に慣れなくてそわそわした。「何もしない」ということは想像していたよりもずっと難しい。自分が休んでいる間にも、友人たちは順調にキャリアを積み重ねていって、どんどん先に進んでしまう。そんな不安に苛まれた。自分は家にずっと引きこもって、日々を無為に過ごして何をしているのか、全くわからなかった。当然そんな状態できちんとした休息が取れるはずがなく、結局は職場への復帰を諦め、退職することにした。

いざ退職すると、再びあの環境に戻らなくてもいいのだという安心感から、少しだけ気持ちが安定した。そしてこの先、新しく何を始めてもいいのだと前向きになった。どんなことに挑戦をしても、もはや失うものはない。今まで失いたくないとしがみついていたものから解放されて、むしろ清々しい気持ちだった。

その頃から私は、徐々に人と自分を比べなくなっていった。職場では常に自分のアウトプットや振る舞いを誰かと比較していたから、そこから抜け出すことは容易ではなかったけれど、自分のための時間が増えるにつれて、人と比べる癖が薄れていった。そして日々を「生産的」に過ごすということを、さほど気にしなくなっていた。体調が悪くて一日中寝ている日もあれば、本を読んだり、プールに通ったり、映画やアニメを見たり、料理をして過ごした。誰かにアピールするでもなく、純粋に自分の楽しみと、興味や関心から物事を選べるようになっていった。

今思うと、それは私にとって大切な、真に必要な時間だった。それまで仕事や趣味、人との交流といった活動を通して、何かを「生産」した気になることで、自分の意義を保っていた。けれどたとえ何も「生産」していなかったとしても、私はここに存在して良いのだということをいつの間にか肯定できるようになった。それは私が「うつ病」を「治療する」にあたって、最も大切な気付きだった。



脅迫的な「生産性」


文筆家の木澤佐登志は次のように言う――「(聖書の記述に従って)『生産性』が至上命題とされた。神は男性に土を耕すように命じ、女性には子供を産むように命じたのだ。ここから痛みを伴う『労働』、神に対する負債を返済するための『労働』、すなわち義務としての崇高な『労働』という観念が生まれる」(※2)と。社会学者であるウェーバーもまた、神から与えられた天職(べルーフ)への従事と信仰の全うがイコールで結ばれている関係を、プロテスタンティズム諸派の教義の中に見出している(※3)。

今の社会に暮らす私たちも、そうした価値観から遠くかけ離れてはいない。企業は社員に成果を、国家は国民に生殖を要求する。それは時に「自己実現」という言葉で包み隠されるが、その背後にあるのは「とにかく生産せよ」という脅迫である。そして「生産的」でないということは、社会の役に立たないから「無駄」であり、容易に「悪」であるという価値観に結びついてしまう(この辺りは「LGBTが生産的でない」という言説や、相模原障害者殺傷事件などでも再三語られていることではある)。

現代の女性は、仕事と子育てを両立することで、ようやく「一人前」になれる。どちらかが欠けていたら、それは「女性として失格である」という批判を許す隙になってしまう。けれど私たちは常に何かを「生産」していなければ、途端に無価値な存在になってしまうのだろうか。ただ自分が自分として存在しているということを、素直に肯定できないのはなぜだろうか。仕事から脱落してしまった自分に価値がないと思い込んでしまった当時の私が、どのような価値観を内在化していたのか、今ならばはっきりと認識できる。そしてたとえ悪意がなかったとしても、それは容易に他者を排除する思想に結びついてしまう。



異常と正常の境目で


私は転職をして新しい仕事を始めた今も、抗うつ剤を服用している。どんな人間にも気分の上下はあるものだが、通院し、服薬している事実は「あちら側」と「こちら側」――「正常な人」と「異常な人」を分ける分水嶺だ。初めて精神科を受診し、薬を処方されたその時、私はこんなに簡単なことで人は「こちら側」になってしまうのか、と思った。けれどその領域に足を踏み入れることは、人生が終わってしまうことでもなかったし、触れたら身を滅ぼすタブーでもなかった。

何よりその境界線は、時代や価値観に応じて移ろう流動的なものだ。何を異常と判定し、治療の対象とするのか。そして、誰がその基準を決めているのか。ヒステリーは元々「子宮」を意味するギリシア語に由来しており、長年女性に特有の病だと考えられてきたが、現代の精神医学上その概念は解体され、複数の症候群に分解されている(※4)。

むしろ「うつ病」を通してじっくり休むことで、私は脅迫的な「生産性」から少しだけ目を逸らす術を身につけた。無理に「生産」しなくても良い、自分のできる範囲でやりたいことをやればいいと思えるようになった。ましてや、自分が「生産」した成果を人と比べたり、競う必要など全くない。

「あちら側」と「こちら側」にいる時で、私が自分を肯定できている方はどちらだろう。人生がより満ち足りていると感じているのは?――言うまでもなく、それは今だ。たとえ表向きはうつ病の治療中であったとしても、私は今の人生に十分納得している。病の治療対象でもなければ、人生から脱落した人間でもない、ただ一人の私という存在を肯定できている。

では、「生産し続けなければ価値がない」と思い込んでいた私が患っていた本当の病とは、一体何だったのだろう?



※1

厚生労働省「精神疾患のデータ」https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html

※2

木澤佐登志「『レクサプロの時代の資本主義』に抵抗すること――木澤佐登志が読み解く、デヴィッド・グレーバー 『ブルシット・ジョブ』」https://tokion.jp/2020/11/06/satoshi-kizawa-dissects-bullshit-jobs/

※3

マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

※4

西見奈子「精神分析にとって女とは何か」



筆者プロフィール

N.Ham

ITの仕事をしている社会人四年目。うつ病と診断され、現在も通院中。最近は「仕事は仕事」と割り切って、生活の側で自分の考えたいことややりたいことに注力している。趣味は読書とゲームと美術鑑賞。納豆を毎日食べる。


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